薄れつつある生産国ごとの魅力

ヘビの毒に犯された編集部H氏から、「英国車の魅力について書いてくださいね」との依頼。面白そうだと軽く引き受けたものの、書き始めようとPCに向き合ってハタと考え込んでしまった。なにせ英国車といったって超高級車から大衆車までさまざまだ。難解な原稿を引き受けてしまったといまさら後悔しても始まらない。とにかく、今回はかなりの私見(と思い込み)を交えて語るので、「いやいやそれは違うだろう」というご意見も多数あるに違いないが、ぜひ笑い飛ばしながら気軽にお読みいただきたい。

それはいつ頃からだろうか。どの国のクルマからも、その国ならではの個性が薄れてきたのは。例えばフランス車はストロークの長いサスペンションとふんわりと体を包み込むようなシートによる乗り心地のよさ。イタリア車はとにかく全開で走りたくなるような気持ちのよいフィーリングと官能的なサウンド。ドイツ車は質実剛健な固いシートとしっかりとした乗り心地。少々単純ではあるが、おおよそこんなイメージだった。従って、目をつぶって乗ったとしても、なんとなくどこの国のクルマか分かったものだ。そうそう、“匂い”も重要な要素だった。

それが今は、どのクルマに乗っても大きな差は感じられないようになった。資本関係とともに、グローバル化の波によってそれぞれの国の製品が似通ったものになってしまったように思えてならない。たぶんそれはそれで良い点もあるのだろうが、少し寂しくもあるのは事実だ。

そうした中で、英国車はどうだろう? 英国資本のメーカーはマクラーレンとモーガンくらいで、それ以外はアジアをはじめとした他国の資本の元、経営を進めている。当然、資本関係にあるメーカーのカラーは入ってきているだろうし、ベントレーやジャガー、そしてロールス・ロイスまでSUVをラインナップしているのは、まさに親会社のマーケティングの表れである。それは生き残りをかけるうえでは致し方のないことで、決して安易に否定できることではないだろう。

それでも私は、今日でも英国車の個性は、ある程度守られていると思っている。

英国車の魅力と日本の文化

話は飛ぶが、日本市場での英国車は実に元気がいい。間もなくロールス・ロイスの「カリナン」が導入予定だし、マクラーレンも、完売したにもかかわらず日本で「セナ」をお披露目した。さらに、モーガンについては新たな輸入代理店による販売が開始されるなど、いずれも積極的な活動が見られる。皆、日本に大きな期待を寄せているのだ。

一方で、私たち日本人にとって英国車の魅力とは何なのだろう? それはたぶん2つある。そのひとつは“クラフトマンシップ”だ。例えばロールス・ロイスでは、インテリアのウッドパネルやレザーシート、特別注文の銀細工によるタンブラーからエクステリアの手描きのピンストライプに至るまで、一人ひとりの職人が丹精込めて“作品”を作り上げる。ベントレーやジャガーにもそれは多かれ少なかれ共通するポイントだ。そこに感じるものは、日本の伝統工芸品といわれる多くのもの、例えば漆器や着物、日本刀などに見られる、職人技に共通するものだ。そこには手作りだから感じられる温かみとともに、作り手の顔が感じられる。

もうひとつは“やせ我慢の美学”である。モーガンやケータハムのように、今となっては時代遅れ、しかしそれが快感につながるような、スパルタンなまでに“運転する”ということに特化したクルマ作りに、ことわざでいう「武士は食わねど高楊枝(ようじ)」ではないけれど、武士道に通じる潔さを覚えるのではないか。また“職人の顔”という意味でも、モーガンやケータハムは、まさに作り手の顔が浮かんでくるような手作りのクルマだ。

「では、MINIはどうなんだ?」と皆さんは思われるだろう。私としては、MINIは英国車の中ではブランドが独り歩きをしており、これまでに述べてきたイメージは希薄だと思っている。ただし、メーカーもその点を強化する必要性は感じているようで、だからこそ、あくまで表面的な取り組みかもしれないが、テールランプにユニオンジャックをあしらったり、英国っぽい雰囲気を醸し出す「MINI Yours」というオプションプログラムを用意したりしているのだろう。

英国と日本の文化には、共通する部分が多く感じられる。それゆえに、その魅力が日本でも広く支持されているのだろうと私は思うのだ。よい製品、手間ひまのかかった仕事に対して日本人が感じる“ありがたみ”こそ英国車の本質であり、だからこそ、現在でも他の国々のそれとは違った特徴が表れているのだ。

(文=内田俊一/編集=堀田剛資)