キット販売のスポーツカーが大人気

マーク2は1950年に行われたレースイベントで、「ブガッティ・タイプ37」に勝利してしまう。伝説の名車を打ち負かしたということで、ロータスの声望は高まった。続いて作られた「マーク3」は、フォーミュラ750で圧倒的な速さを見せつけた。本格的にスポーツカーの製造を行うため、チャップマンは1952年の1月1日、ロンドンにロータス・エンジニアリング社を設立した。

転機となったのは「マーク6」である。このモデルは、設計の段階から量産化が考慮されていた。それまではオースチン・セブンのラダーフレームを利用してレーシングカーを仕立てていたが、マーク6では独自開発のスペースフレームを採用している。わずか25kgという非常に軽量なもので、アルミ製のボディーパネルを取り付けても40kgだった。

マーク6はキットフォームの形で販売された。シャシーやボディー、サスペンションなどのパーツの形で提供され、購入した客は自らの手で組み立てることになる。完成車として販売すると高率の税金がかけられるが、パーツならばそれが免除されるからだ。レーシングカーを購入する人々にとっては、こうした作業は面倒なことではない。むしろ、自分で最後の仕上げを行いたいという気持ちが強いのだ。エンジンはフォードの1.2リッター直列4気筒をはじめとするいくつかの選択肢があり、自分で用意することも可能だった。マーク6は大人気となり、1955年までに100台以上が販売された。

飛躍を続けるロータス・エンジニアリング社だが、その工場は古い馬小屋を借用して造られたもので、生産能力はすでに限界である。チャップマンは次なるプロダクションモデルの製造のために会社を改組し、新たな工場を建設した。1957年、2台のニューモデルがデビューする。1台は前述のセブンで、同時に発表されたのが「エリート」である。

戦前のグランプリレースで活躍した「ブガッティ・タイプ35」。「タイプ37」は同車のボディーに1.5リッター直4エンジンを搭載したもので、当時としては非常に高性能なスポーツカーだった。
戦前のグランプリレースで活躍した「ブガッティ・タイプ35」。「タイプ37」は同車のボディーに1.5リッター直4エンジンを搭載したもので、当時としては非常に高性能なスポーツカーだった。拡大
チャップマンは、1952年にマイケル・アレン、ナイジェル・アレンの兄弟とともにロンドンにロータス・エンジニアリング社を設立する。写真は同社の契機ともなった「ロータス6」。チャップマンが一から設計した、初のオリジナルモデルだった。
チャップマンは、1952年にマイケル・アレン、ナイジェル・アレンの兄弟とともにロンドンにロータス・エンジニアリング社を設立する。写真は同社の契機ともなった「ロータス6」。チャップマンが一から設計した、初のオリジナルモデルだった。拡大
1957年秋のロンドンショーで「エリート」と共にデビューした「セブン」。既存のモデルと同じく、完成車に加えてキットフォームでの販売も行われた。ロータスは1973年に同社の製造権を生産設備ごとケータハムに売却。これが今日に続く「ケータハム・セブン」となった。
1957年秋のロンドンショーで「エリート」と共にデビューした「セブン」。既存のモデルと同じく、完成車に加えてキットフォームでの販売も行われた。ロータスは1973年に同社の製造権を生産設備ごとケータハムに売却。これが今日に続く「ケータハム・セブン」となった。拡大
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